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kanakimura

運ぶはこぶよわたしの巣

更新日:2023年1月8日



〈ここは私の家だな〉とか〈あ、私はここに住んでいるんだな・・・〉とか


そういう感覚はいつ生まれるのだろう。

そこに住み始めて1年経った頃だろうか?それともその月のうち?

生まれた時からそこに住んでいるなら、もうずっとその感覚なのだろうか?

ジプシーな生活をしていれば、その日の寝床で就く瞬間とか、車の中でそう感じるのかもかもしれないし。



   去年の7月初旬、約3年住んだアイスランドを出た。引っ越し作業には直前まで手がつけられなかった。少しづつ“家”として組み立てたこの小さな部屋が、空っぽになっていくのが悲しかった。この部屋はシェルターと一部の友人から呼ばれていた。とても小さな部屋。3フロア、地上2階と半地下1階。私の部屋は半地下で、5段ほど階段を降りて扉を開けると、共同トイレとシャワー&洗濯室、建物全体のボイラー室?があり、私ともう一人がそれぞれ個室を持ち、その中に独立キッチンがあるワンルーム。ボイラー室には地上1階に住むおじいさんが頭にライトを着けてよく降りてきて、栓を弄っていた。ある夏にはおじいさんの孫がイギリスからやってきて、私の向かいの部屋に住んでいた。個室の部屋にはベッドとクローゼットと食器棚と机が備え付けてあった。私はたくさんのものを持ち込んで溜め込んだ。石のコレクションは長い窓辺に置かれ、地上2階に住む大家さんの子供たちがよく見に来ていた。指を差しているのをベットから見ていた。大家さんはいつも気にかけてくれて優しかった。コロナの間は本当にずっと家の中にいた。家具の配置を変えたり、空間のいろんな使い方を駆使した。床でいかに快適に過ごせるかの配置を考えたり、壁の全亀裂に沿ってマスキングテープを張り巡らせたり、天井からいろんなもの吊したり、本当にいろいろ。北向きの窓から部屋に差し込む太陽の光、隣の建物の窓に反射して入ってくるその光が映すイリュージョンには、どうしようもなく惚れ込んでいた。太陽の流れが早い。影が走っていく。





  そこは私の家だった。初めて外国に住む私にとって、居場所である家を自分で構築していく時間はとても大切だった。避難所。それは精神面の中央に立つ太い柱になり得るのかも。








   部屋を引き払ってアイスランドを出た日、イタリアへ発った。温度差が20度近くある環境に落とされて、身体も思考も付いて行かなかった。頭が全く回らない。とても可愛い女性と彼女の息子の部屋にお世話になった。屋根裏部屋を貸してもらったが、めちゃくちゃ暑かった。天窓からの太陽で熱された布団に日本の懐かしさを感じた(アイスランドは主に室内乾燥)。ふと財布の中を確認した。アイスランドでよく行っていた近所のコンビニのコーヒーチケットがあった。「あと2回行けるのか・・・」と夏のヴェニスの眩しい路地で売られる野菜を前に思った。もうそれを使うことはないのだろうけど、財布の中にしまっておいた。21時ごろに友人夫婦と夕食をとった。空が暗くて驚いた。空が夜だった。夏のアイスランドはまだまだ明るい時間帯で、私の体内時計台は未だアイスランドにあるようだった。


   その後ドイツに2ヶ月ほど滞在した。休暇シーズンの夏は、大抵みんな長期的に出かける為、友人から住人不在の部屋を格安で紹介してもらえた。4人で住んでいるというそのフラットには、私が到着した時には2人しかいなかったし、すぐそのうちの1人も休暇に出た。私はその家がひどく気に入った。彼女たちの朝のルーティンに参加した。バルコニーで一緒にコーヒーを飲んだり、植物に水をあげたり、フルーツを齧りながら今日の予定の話をしたり。キッチンで毎時2-3分囀る鳥時計が私の楽しみだった。しかも毎回違う種類の鳥が鳴く。なんてユニークな鳥時計なんだろう。今いるここがよく知らない場所なのに、更にどこか知らない森の中にトリップした。20個はあるであろうマグカップを日替わりで使ってみたり、借りた自転車で公園を抜けて、彼らが契約している畑に毎週野菜を取りに行ったり。ゴミ出しのルールを覚えてその通りにやったり、たまに別のフロアの住人が油を借りに来たり。同じ建物の住人と階段で会えば立ち話したり、新しい人が別のフロアに越してきて、一緒にお茶を飲んだり。まるで私はそこに住んでいるみたいだった。でもスーツケースの中のものを全部出すことはなかった。住んでいるように毎日を振る舞えても、どこかで自分はここをもうすぐ去っていくんだという意識があった。でもその街を去る時、とても悲しかった。過ごした時間にノスタルジーを感じていた。あと1ヶ月でもそこで過ごしていたら、スーツケースの中のものを全部出して、部屋の中で物の配置をするようになって、住んでいると思う瞬間がやってきたのだろうか。



   ドイツにいる間、パティスミスのMトレインを読んでいた。その中で彼女はアイスランドに滞在していた。彼女がレイキャビク市役所や、チェスボードが置いてある古本屋の話をすれば、それがどこにありどんな場所か容易にイメージできた。私の知っている場所だ。ドイツで部屋を貸してくれていた子のパートナーが、先日アイスランドに行ったという話をしてくれた。彼はアイスランドの古いチェスプレイヤーのリサーチをしに行ったと話した。私はチェスに全く明るくないが、そのプレイヤーの名前を知っていた。なぜなら、Mトレインでパティも同じ人のリサーチを行っていたから。それは面白い偶然だった。




   そのあと10日ほどアイスランドに戻った。預けていた私の荷物を本帰国のために日本に送ることが目的だった。9月のアイスランドはすっかり寒かった。イタリアードイツと持ち歩いていた服では完全に凍えた。こんなに寒いことを忘れていた。持ってきている服を全部着ても足りなかった。友人がダウンを貸してくれて、なんとか過ごせた。この滞在では、会える人に会ってさよならの時間を過ごしてさよならのハグをした。いつでも帰っておいでよ、と誰かと会う度に言ってくれた。私の過ごした場所は帰る場所と呼ぶことができることが嬉しかった。全く寂しくなかったし悲しくもなかった。3年という月日は私にとって住んだ時間で、そこが帰れる場所になっていた。


   私は10月頭に日本に帰った。異国から帰ってきたという実感が未だにない。ただ、ユーラシアプレートの端から端に来ただけで、特別に懐かしみ浸る気持ちも起きない。私の意識の中では地続きになっている場所。私が今過ごしている実家もまた、帰る場所でありながら、いつか(それはもうすぐかもしれないが)旅立つ場所として認識しているのかもしれない。でも変な感じ。変わらずあると信じて込んでいるんだろうな。でもいつかきっと変わる時があるとわかっているから、安堵もありながら未知な変化への緊張も混ざっている。少しの変化に少し動揺する。それぐらい私の精神はこの場所に根を細部まで張り巡らせているのだろう。









 


   歩いていてたまに、〈なんでここにいるんだろう・・・?〉と思う時ないですか?私は昔からよくあって、自分がここにいることがいろんな偶然や選択の連続の上であることを面白く、そして可笑しく思えます。きっと1ミリでも違ったら今ここに居ないのだから、日常や生活と呼べるものがとても稀有で尊いものだと笑いながら噛み締めたりします。ここにいる理由は全然ひと言では言えないし、今のところ探るつもりもないけれど。


   なんだか旅行記にみたいになったけど、旅行記のネタは別であるのでまたいつか。。。




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