私は、健康 conscious です。
それは、今まで普通:normal な生活、食事ができなかったことが背景にある。
社会にはたくさんの誘惑があって、実際、何が "良い" のか、わからなくなりました。
それでも、いかに良く生きるか:well-being について考えたり、試しています。いま超健康:hyper-well-being だと感じている瞬間もあるし、今後も、探求したいテーマです。
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ミシェル・フーコーは、『臨床医学の誕生 - 医学的まなざしの考古学』の中で、19世紀の初頭にある断絶が起きたとしました。この時期に、古典的医学が臨床医学に取って変わられ、人間(病人)の身体が研究対象になりました。
元来、古典的医学における治療の目的は、「病」を取り除き、「健康」を回復することだったのですが、臨床医学では、患者を "normal" な:「正常で、標準の」状態にすることが目指されました。
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治癒 : 治ることの意味は変化してきました。実際に現在、様々な障害:disorder という言葉もありますね。
「健康:well-being」とは何だろう。
科学的(道徳的)に定義された「正常、標準」=「健康」なのか。
たとえば衣服における既製品のS M Lも 、そもそも人間の身体は多様なのに、この基準に当てはまらないことで自分の身体に違和感を持つ。これは「標準、正常」に当てはまらない不安なのでしょうか。衣服の問題にも、国家と医学の眼差しが現れているのでしょうか。
医学は科学になり、その他の科学と結びつき、道徳になり、国家規範になり、社会構造と関わってきました。「歴史」を作り上げてきたのです。
私は「正常、標準」 ≠ 「健康」だと思います。
normality じゃなくて well-being がいい。
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